InnerCore9の心理療法

開発と実績

InnerCore9での心理療法は、サンフランシスコ州立大学カウンセリング学科名誉教授・田中万里子博士が1999年に開発したPOMR(Process Oriented Memory Resolution)をPOMR認定カウンセラーの白石孝子とともに実践する中で研究や改良を続け、当初の概念から進化を遂げてきています。

InnerCore9のパーソナルセッションでは、クライエントが、現在起こっている問題を解決するために、共感的なセラピストの援助を受けながら安全感を得て、自分の内面と向き合い、根本的な原因を探り、記憶の奥に閉ざされた過去の情動記憶(混乱、ショック、恐怖、恥、怒り、不安、緊張など) を自分の奥底に眠る英知を使って解放し、癒すことをお手伝いします。

「わかっているのにやめられない」
「こうすればいいと頭でわかっているのになぜかできない」
「言われたことや慣れたことはできるが、新しいことに挑戦できない」
「創造性が発揮できない」
「積極的に自分の意見を言えない」
「自信がもてない」

・・・など、一見、性格によるものとか、本人の努力が足りないと思われがちな問題も、実は未消化な情動記憶が影響しているのです。過去のある時点の自分が混乱し、固まった状態でいることに自ら気付き、その自分を解放することでその過去の記憶の束縛から自由になることで、心のブレーキがはずれその人がもって生まれた創造性や能力を発揮できるようになります。

それゆえ、
「前のようにイラッときたり、腹が立ったりしなくなった」
「以前はできなかったことを、気が付いたらやっていた」
「生きているのが楽になった」
といった、自分のあり方、行動が自然に変化してゆくのです。

このように、訓練や努力や忍耐によって行動を変えるのではなく、根本的に解決することが大きな特長です。

セラピストの役割

トラウマワークを安全に行うには、記憶と感情についての専門的知識を持ち、経験を積んだセラピストの援助が欠かせません。

セラピストの特に重要な役割として、以下の3つが挙げられます。

  1. クライエントのペースに合わせて寄り添いながら、クライエントが自分の内面に向き合うことを可能にする安全感を作ること
  2. クライエントが話をしながら現在と過去の自分を行ったり来たりすることを認識し、今ここでどの時点の自分を体験しているのかを把握して適切に対応すること
  3. クライエントが過去に情動が強く動いた衝撃的な体験にアクセスしたときに深い共感をもって寄り添い、再体験による圧倒を防ぎ、責任をもってクライエントの情動記憶の解消を援助し、 未処理のものが残った場合には記憶のふたが閉じるまで見届けること

過去の記憶にアクセスし、過去の自分を癒す方法を知っているのは本人のみですが、混乱したり衝撃的な体験の記憶にアクセスしているときは、本人はあたかもその時点にタイムスリップし、客観的な視点を持ちにくいので、落ち着いて全体像を把握できるセラピストの援助が必要です。

また、クライエントが情動が強く動いた体験の記憶にアクセスしているときは安全感を失い、非常にもろく、傷つきやすい心理状態なので、適切なトレーニングを受けたセラピストとともに衝撃的な体験記憶の解消を行う必要があります。

InnerCore9の心理療法を学びたい方は、共感力講座、グループコンサルテーション、ケーススーパービジョンを受講してください。

また自らがパーソナルセッションを受けて、体験されることも効果的です。

共感力について

「共感力」とは、自他の感情に寄り添い、理解し、「感情」を問題解決や創造的活動に上手に生かせる能力のことをいいます。InnerCore9がもっとも大切にしているコンセプトです。

人は、感情によって自分が本当に求めているもの、大事にしているものを知ることができます。感情が本当の自分に気付く鍵となるのです。

また、自分の感情に敏感になり、自分への共感ができるようになると、感情調整能力が高まり、落ち着いてものごとに対処でき、さらに自分への共感をベースに人にも共感的になれます。

人は、相手に共感され、「心と心がつながった」「よくわかってもらえた」という安全感で満たされたとき、自分自身のなかにある問題解決能力を自然に使うことができるようになります。そして、自分のパワーを発見して、自ら元気になっていきます。

「共感力」は人とのコミュニケーションをよくし、人間関係を円滑にするものです。

また、トラウマをつくらないためにも、トラウマを癒すためにも「共感力」は必須です。

特に、援助職に従事している方、子育て中の方、教育関係者、職場のリーダーである皆様には、コミュニケーションスキルとしての「共感力」をぜひ学んでいただきたいと願っております 。

問題の根底に感情がある

私たちは長年のカウンセリング(パーソナルセッション)を通じて、多くの方々の悩みや苦しみを聞いてきました。

例えば、「子ども(部下)が言うことを聞いてくれない」「上司の前では言いたいことが言えない」「(カウンセラーとして)クライエントの話をニュートラルに聴けないときがある」「頭ではやれるはずだと思うのに、いざとなるとできない」など。

様々な臨床の場を通じて、私たちは、これらの課題の根本的な原因は自分自身の「感情」にあることに気づきました。

問題の解決は自分の「感情」を見つめ、理解することから始まります。

「感情」のベースは、「快」と「不快」

「快」には“好き”“嬉しい”“楽しい”などがあり、「不快」には“嫌い”“怒り”“不安”などがあります。そして、これらの快と不快の体験は私たちの記憶の中に蓄えられています。
「快」のときは身体は開き、ゆるみ、そして温かくなり、反対に「不快」のときは身体は閉じ、硬くなり、冷たくなります。この身体生理反応を“情動反応”と言います。

この反応は感情が認識されるよりも先に身体で起こるので、仮に「不快」な反応を理性的になくそうとしても身体はすでに反応しているのです。

それなのに私たちはこの身体からの信号を無視したり、他にそらそうとしがちです。これが様々な問題や病気のもとになっているのです。

感情は何によって引き起こされるのでしょう?

感情の背景には個人の「欲求」や「期待」、「想定」があります。自分の欲求が満たされれば「快」になり、満たされないと「不快」になります。

人が不快を感じるとその体の感じ自体が不快なので何とかしたくて、人のせいにしたり、相手を批判したり、あるいは罵倒したり愚痴や文句を言ったりします。または、相手を無視する態度に出たりもします。その結果、しばしば人間関係の問題をつくるのです。

このような大人気ない態度に出るのが嫌な場合は、自分の気持を抑え込み、我慢します。
これを続けると、さまざまな身体症状が出て、ときにはうつになったり、病気になったりします。

このような感情が起こった際の不適切な対処行動が問題を起こすので、私たちは感情自体を悪者としがちなのです。しかし、もともと不快感情は自分を危険から守り、欲求を満たすためにある大切なものです。

自分の欲求を満たすためにはどうしたらよいかを考えたり、相手とどのように折り合ってお互いの欲求を満たすかを考えたり、話し合ったりすることが課題となってくるのです。

同じような出来事があっても過剰に反応する人と、 しない人がいるのはなぜ?

外からの刺激に対する反応はひとそれぞれです。

情緒の安定のベースは養育者との愛着関係からつくられると言われています。

また、私たちの色々な情動体験は記憶に残るので、似たことが起こるとそのときの情動が再現されて、快体験はくりかえし、不快体験は回避するようになるのです。

これが二人の人が同じような状況においても必ずしも同じ感情を体験しないしくみです。私たちの感情は個人の体験記憶のデータベースに左右されているのです。

特に、その人にとって衝撃的な出来事が起こって圧倒されるような体験をしたときに、その感情が適切に扱われて処理されないとそのときの情動が記憶に強く残り、似たことが起こったときに過剰に反応しやすくなります。

感情を安定させるにはどうしたらいいのでしょう?

私たちが平常心でいるときは感情と理性が協調してはたらき、バランスがとれています。

しかし、過剰に不快な感情が起こり暴走すると、理性が正常に機能しなくなります。その人の内面はひどく動揺し、かっとなったり、頭が真っ白になったり、支離滅裂なことを言ったりします。

そのためにさまざまな問題が引き起こされるのです。そんなとき人は感情を抑え込んで理性的であろうとしがちなのですが、感情は自分自身を危険から守るために発生しているので、抑え込もうとするともっと激しく危険を知らせようとします。

こうなると自分一人ではなかなか自分の心の安定を取り戻すことはできません。

安全感や情動の安定を取り戻すには、その気持ちをわかって「共感的」につきあってくれる第三者の助けが必要です。

情動反応が落ち着くことで理性が機能するようになり、自ら問題の解決策を見つけることができるようになるのです。

他人の話を聞いてもなかなか共感できないのはなぜでしょう?

一般的に「共感」は他者に与えたり、与えられたりするものと考えがちですが、実は2種類あります。ひとつは自分との対話から来る自分への共感。もうひとつは他者との対話から生まれる他者への共感。

私たちは自分の感情を感じて理解するしくみを使って、他の人の感情を感じとり、理解することができます。

自分の感情を抑制しよう、コントロールしようとしている人は、自分の感情がわからなくなってしまい、他人の感情もわからないので「共感」することができません。

「共感」するためには日頃から自分の感情を感じて理解できるようにトレーニングすることが大事です。

なぜ動揺したり、怒ったり、不安になったり、悲しくなったりしたのか、自分で自分のことがわかるようになれば、自ら安全感を取り戻すことができます。

そして、自分の感情を理解することができるようになれば他者の感情も理解でき、共感できるようになります。

InnerCore9で言う「真の共感」とは何ですか?

他者に対する「共感」には相手の感情を推測し、想像する“考える認知的共感”と相手の感情と共鳴する“感じる情動的共感”があります。

わたしたちの考える“真の共感”とはこの両者にまたがり、相手の情動を身体で感じ取って、その気持ちを頭で認知的に理解する共感です。

これにより相手は安心感を得られ、自分から自分に最も適切な答えを見つけることができるのです。

また、“真の共感”を受けた人は気持ちが落ち着き、気分もよくなります。そして他者に対しても気持ちよく接することができ、さらにその幸福感は連鎖して拡散していきます。

“真の共感”が広がることで社会全体がよくなることをわたしたちは願っています。

「共感力講座」ではどんなことを学ぶのですか?

わたしたちの「共感力講座」では、まず、感情が起こるしくみ、役割、その適切な扱い方や共感についての理論を学び、自分と対話し、自分に共感するための感情力を培ってもらいます。

自分への共感ができるようになって初めて他者に対しても共感的になることができ、他者とのコミュニケーションを深めることができるのです。

「共感力講座」を学ぶところはどのような環境ですか?

自転車の乗り方のビデオを何万回見ても自転車に乗れるようにはならないように、共感力も知識を得ただけでは身につくものではありません。

実際に自分で何度も繰り返しやってみて、自分のあり方を振り返ったり相手からのフィードバックを受け、またやってみる、という実践が大事です。

そこでInnerCore9では、受講者の皆さんが気軽に集い、落ち着いた空間で自分の感情に向き合ったり、人の心に寄り添ったりすることができる環境つくりにも配慮をしています。

安心できる空間があり、ともに学ぶ仲間がいる、ということも繊細な感情を扱う上で欠かせない要素だと考えています。

※共感力講座の一部はオンラインでも開催しています。

トラウマについて

幼少期のさまざまな体験、とくにその時点の自分にとって混乱したり、
衝撃的で情動が強く動いた体験はその人の心の成長をさまたげ、
大人になっても影響しつづけます。

人の情動が強く動き、その情動が未消化なまま残るとその状況と身体の状態のセットができ、その出来事は忘れていても、似た状況に置かれたときにそのときの恐怖や不快感が潜在的に蘇り、後の人生まで影響し続けることを「トラウマ」といいます。

「トラウマ」というと、交通事故や殺人、傷害、天災、火事、性的な虐待、戦争などの出来事をイメージする方が多いと思います。

しかし、必ずしもこのような悲惨な、非日常的な出来事だけではなく、日常的なささいなことも“人生のブレーキ”ともいえる、個人的な問題の原因になることがしばしばあります。たとえば、子どもの頃の次のような体験は、脳が発育途上の子どもにとっては情動が強く動かされる衝撃体験なので記憶に深く残り、後の人生に影響をしつづけます。クライエントの問題の根本原因を探っていくとしばしばこのような幼少期の日常的な出来事で作られた衝撃的な体験の記憶にたどりつきます。

こんな日常的な出来事からもトラウマはつくられる

  • 両親のひどい夫婦喧嘩や暴力
  • きょうだいが生まれ、両親の関心が一気に赤ちゃんの方に向いてしまった
  • 「女の子だから」とチャンスを奪われた
  • 「男の子はメソメソするな」と感情表現を閉ざされた
  • 成績しかみてもらえなかった、他人と比較されて育った

「トラウマ」は人生にどのように影響するのか?

では、子ども時代に受けたトラウマの影響について、私たちの記憶のしくみからもう少し詳しく説明しましょう。

1.トラウマが作られると…

衝撃体験時につくられた「状況」と「体の状態(情動反応)」のセットの記憶が後の人生にまで影響し続けます。胎児期はもちろん、乳幼児期も脳が発達途上にあるので、自分に起こった出来事がよく理解できず、簡単に圧倒され固まって動きが取れなくなってしまいます。

その「固まった」ことが長く記憶として残るとそれが影響をおよぼすのです。

親やまわりの大人に「不安だったんだね」「つらかったね」「こわかったね」などと共感されたり、ある程度の年齢の子どもであれば、なぜこのことが起こったのか、わかるように説明してもらうなど適切に対応されれば「固まり」は解けて影響は残りません。しかし多くの場合、その原因を作った親や大人たちは、子どもの心と身体に起こっていることに気づいていません。そのまま時間が過ぎると、その記憶は凍結したまま残り、自分にも理由がよくわからない問題行動を起こし、自己否定感や無力感が大きく根を張っていくのです。

2.衝撃体験時と似た状況が起こると…

凍結された衝撃体験時の記憶は、それが意識に残っていなくても長年生き続けます。そして、後に、その衝撃体験と似た状況に遭遇すると、瞬時に体の状態や感情(圧倒、恐怖、興奮、固まるなど)が再現されます。そして、本人も理由がよくわからないうちに過剰反応―――その場の状況に似つかわしくない反応が起こり、大人げない行動をとったり、体が動かない、どうしてもできない、ということが起こります。それが、「しようと思ってもできない」「やるまいと思っていることをしてしまう」という状況です。

過剰反応の例

  • 父と声や外見が似ている上司が何となく苦手でつい避けてしまう
  • 子どもに勉強を教えているとき、なかなか理解できない子どもに手が出てしまう
  • 不機嫌な人がいると何とかしたくなりご機嫌取りをしてしまう
  • 失敗をするのが怖くていつも緊張している
  • 人が自分の思い通りに動かないとイラッとする
  • 期待されたり頼まれたりすると断れず、無理をしてしまう

3.人生にブレーキをかけるトラウマ

心と体がブレーキを踏み続ける…それは、幼少期に受けた圧倒された体験を通じて刻み込まれた危険回避の本能的な反応なのですが、その後も無力感や「自分はダメだ」「わかってもらえない」「愛される価値がない」などといった否定的な信じ込みとなって残り、“人生のブレーキ”としてその人の能力や才能の発揮の邪魔をし続けます。

トラウマのしくみを理解することは、全ての対人援助職の方に役に立ちます。

箱庭について

「作られた箱庭の世界は無言でその創造主にせまる」

マーガレット・ローエンフェルド

深層世界からせまってくるメッセージを探ってみませんか?

多種多様なミニチュアを眺めていると、何となく気になるもの、手を伸ばしたくなるものがあります。それらは、うまく言葉にできないけれど深いところで何となく感じていることを表現する助けになります。

InnerCore9の箱庭は、箱庭療法の原型となった世界技法の創始者イギリスの臨床家のDr.マーガレット・ローエンフェルドの流れをくむもので、解釈や分析は一切行いません
ローエンフェルドは「私たちは言語以前にイメージの言葉で考えている」と言っています。箱庭に繰り広げられる世界は潜在意識が語っているイメージの言葉の表現であり、それを真に理解するためには製作者が自分でその世界を体験して、その奥深くにある意味を感じ取ることが必要なのです。それゆえ、援助者の役割は、箱庭に表現された世界を解釈したり洞察することではなく、箱庭の製作者が安心してその世界に浸ったり、体験したり、隠された意味や答えを自ら発見することを援助することにあります。
箱庭には製作者(クライエント)の深層にある世界がイメージの言葉として鏡のように映し出されています。ときには思ってもいないものや、受け入れがたいものも表現されます。援助者(セラピスト)がどんな世界でも共感的に全面受容することによって安全感が作られ、製作者が自分の世界をじっくり体験することを可能にします。さらにセラピストの問いかけによってクライエントはその世界の隠された意味に自ら気づくことができます。クライエントはありのままの気持ちに共感されることで多様な自分を受け入れ、内面での統合や変化を体験し、自分が必要としている答えを見出していきます。

箱庭パーソナルセッションでは、潜在意識の中にある英知に気づき、ありたい自分、夢の実現を助けます。

箱庭ワークショップでは、創造主として自分の英知への出会いと統合のダイナミックな変化を体験し、その創造主の変化に寄り添って見届ける喜びを味わうことができます。

箱庭ワークショップ受講者の感想

・今回のワークショップでは、箱庭を作るワクワク感と、じっくり深めていく感じを両方体験できました。自分の創った世界をじっくり味わうことで、最初には思ってもいなかった感情が出てきたことには自分でも意外でした。

・創造主として作った世界を味わう時間をたっぷり取っていただいたお陰で、深く浸ることができました。ゆっくり作りながら自分自身で味わう、話を聞いてもらいながら更に深く浸るという流れがとても心地よく学べました。

・感情に気づくことと、体と一体になって感じることが出きると、しっくりとふに落ちた感覚を得られる。頭で考えて世界に入り込めないところでは、感じる怖さがどこかにあるテーマなんだと気づいた。世界を作ってそれをそばで静かに関心を寄せてくれる存在があることで、自分の感じていることに存在感のようなものが出て、しっかり感じることができた。また、そこで出会うワークショップ仲間がいて、体験の共有で気づくことも多く、出会いの面白さもある。様々なピースなどで自分の世界を自由に作ることは、楽しさと自分の無意識から何が出るかワクワク感がある。似たトラウマが目の前にあるときの自分の揺れ動き、ブロックに驚き、いろんな感情を怖れずに当たり前に感じることができ、認められるようになりたいと改めて思いました。 "私にとって、箱庭ワークショップは、日常から離れて、ゆったりと箱庭を作り、自分の深層心理に向き合い、自分自身を癒していくかけがえのない時間です。

・箱庭ワークショップ中、参加した仲間の皆さんから、温かく見守られる深い共感を体験できました。 初めての箱庭を体験する方にも、深い感情が出てきた仲間にも、みんながそっと寄り添うあの場の作り出す感覚、貴重な体験でした。 日常でも、箱庭で体験したお互いに寄り添いあうコミュニケーションができたらいいなとワークショップを後にしました。 箱庭ワークショップの後は、日常では、今までは、意識していなかった沢山の気づきや変化を感じました。 箱庭ワークショップを通じて得た深い体験は、自分のこれまでの人生での体験や、日々感じる感情に自分自身が寄り添う基礎、土台となっているように感じます。"

・「感じる」をメインに、ということで気負わず参加できました。今回は参加メンバーもそういうのが好きな方たちということで、しみじみと味わうことを存分にできた気がします。  自分の気持ちや感じ方に向き合おうとしても、ああかなこうかな、と試行錯誤する余裕がないような、結論を急いでしまうような、深めたようでも自分のことながら本当かしら?これで充分?と迷いが生じることもよくあります。箱庭では、目に見える象徴があるせいか、私は何が気になってる?あともうちょっと?と向き合いやすいような、わかりやすいような気がしました。

・聞く側の体験も充実感がありました。初めてだったので、最初は相手が世界に入っていくサポート(?)が自分にもできるかな?大丈夫かな?と不安まじりでしたが、作成者が少しずつ深めていくその過程を見ていると、なぜか落ち着きました。ああやって少しずつ深めていくのを見られたのはありがたかったです。また、会話のみでのやりとりだとどうしても理解しようという力が入ってしまう気がしますが、箱庭は見えるものの到底自分にはわからないので、もうそこにいるだけ、相手が入っていくのを待つだけ、のような感覚になれたのでしょうか。

・箱庭を見せてもらって聞きながら、本当にそこにいろんなものが現れるんだなあ、と箱庭の奥深さを感じられてありがたかったところへ、よくわからないけれど相手のお役にも一応たてたようで、お礼を言われたのは非常に嬉しいおまけでした。

・3日間、少人数で深い学びができました。創作主と一緒に入れる体験が少しできるようになりました。また、自分自身が箱庭を作って、ピースになりきる体験ができました。そのことによって、自分の頭でははかり知れない奥深いところの自分の声というか本音というかそういう面にだとりつき癒すことができました。新しいピースが想像力を高める(?)ことも発見というか楽しかったです。ありがとうございました。